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名古屋高等裁判所 昭和36年(け)3号 決定

申立人 名古屋高等検察庁検察官検事

請求人 吉田石松

主文

原決定を取消す。

本件再審請求を棄却する。

理由

本件異議申立の理由は、申立人提出に係る再審開始決定に対する異議申立書と題する書面(異議申立理由の補充書と題する書面を含む)に、又これに対する相手方の答弁は弁護人円山田作他六名共同作成名義の検察官の異議申立に対する反駁と題する書面(その一及び二)にそれぞれ記載するとおりであるから、ここに、いずれもこれを引用するが、右異議申立の要旨は次の二点である。すなわち、

(一)  再審請求人吉田石松(以下単に石松という場合がある)は、昭和三二年九月一八日名古屋高等裁判所に対し、原確定判決(以下単に原判決という)の証拠となつた証人海田庄太郎、北河芳平の各証言が虚偽であつたことが証明されたことを理由として、刑訴法四三五条二号、四三七条により再審の請求をしたところ、(以下別件請求という)同裁判所(第三部)は、昭和三四年七月一五日右請求は理由がないとして、その請求を棄却した(以下別件決定という)。ところで、再審の請求が理由のない旨の決定がなされたときは、その後何人も同一の理由により重ねて再審の請求をすることのできないことは、同法四四七条二項の明定するところである。然るに、再審請求人吉田石松のした本件再審請求の理由とするところは、既に請求棄却の決定のあつた別件請求と同一理由に基くものであるから、原裁判所は当然右請求を棄却すべきであつたのに(同法四四六条、四四七条二項)、これをせず、再審開始決定(以下原決定という)をしたもので、原決定は違法というべきである。(二)、仮りに、右(一)の主張が理由がないとしても、原決定は、刑訴法四三七条の解釈適用を誤つている。思うに、右刑訴法の条規に、確定判決を得ることのできない事情があるときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる旨定められているのは、確定判決を得ることのできない事情にあるときの再審請求者に対する救済規定たるに過ぎず、確定判決の基礎となつた証人等の供述の虚偽であつたことの証明について、毫も証明の程度を緩和する趣旨のものではなく、その虚偽性の立証は確定判決に代わるべきものとして、その証明の程度も確定判決を受け得るに足りる程度の確定さが要求されるものといわなければならない。然るに、原決定は、右虚偽性の証明の程度は、(本件の如き事実認定の微妙な事件では)合理的疑いを超える程度でなくても(それほど強力ではなくても)足りると解釈し、その前提のもとに、信憑性の乏しい前記北河芳平、海田庄太郎の覚書、詫状文、または第三者の伝聞等に基いて右芳平及び庄太郎の偽証が証明されたとしているのであるが、原判決はこの点において明らかに同法四三七条の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

以上の次第であるから、原決定は右いずれの理由よりするも違法な決定というべく、取消を免れない、というのである。

第一、異議理由(一)に対する判断

よつて、先づ、異議理由(一)の当否について判断するが、刑訴法四四七条二項に、再審請求が理由がない旨の決定があつたときは、何人も同一の理由によつては、更に再審の請求ができない、とあるのは、再審請求棄却決定(但し、請求が理由がないとする場合)の確定力を認めた趣旨のものであるが、通常の判決の確定力の効果として一事不再理を考える場合と、右再審請求棄却決定の確定力の効果を考える場合とでは、その確定力の及ぶ物的範囲(いわゆる主観的範囲については、ここでは問題としない)を異にする。何んとなれば、前者の場合には、かのいわゆる二重危険の禁止の制度を無視することができないのに、後者の場合には、そのようなことを考える必要はなく、前者では同時起訴、同時審判の可能性ということが確定力の範囲を劃する基準になるであろうが、後者の場合にはもとよりそのようなことを基準にすることはできない。すなわち、後者の確定力の内容は、専ら既になされた再審請求棄却決定の後訴に対する判断の基準性という点に求められるであろう。そして、右四四七条二項の規定が、その一項を受けた規定であること、再審が有罪の言渡を受けた者の利益のためのみに認められた特別救済手続であること、再審請求の事由が制限的に各別に列挙されている以上、その請求を受けた裁判所もその請求事由に対し個別的に理由有無の応答をすべきであること、などを考えれば、前記同一理由により更に再審の請求をすることができない、とあるのは、既に再審請求棄却決定のあつた場合、そこで、再審請求事由として掲げられていた事由と同一事由に基く主張をいうのではなく、弁護人の反駁書にいうように、その請求棄却決定において、裁判所が理由がないものと判断した当該の事由だけを指称するものと解すべきであろう。このように、既に裁判所が判断を示した事項に限り、再審請求棄却決定の確定力、すなわち、この点に対する国家の有権的判断の基準性を認め、その判断の示された事項と同一事項を理由とする再審の請求は重ねて許されないとすることが、右四四七条二項の規定の解釈としては合理的な所以である。(なお、右棄却決定の確定力については後述する。)ところで、本件についてこれを見るのに、別件請求事件、本件請求事件の各記録を比照検討すれば、別件請求の理由は、その請求書によれば、先づ原判決の基礎となつた前記海田庄太郎、北河芳平の各証言が偽証であると主張し、その各証言の虚偽性が証明されたとして刑訴法四三五条二号、四三七条により再審を請求するとし、更に、庄太郎、芳平がそれぞれ偽証の事実を自白したことは、石松に対し無罪を言渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した場合に該当するから、同法四三五条六号により再審を請求する、というのであつたが、右請求理由書には、北河芳平が神戸市灘区倉石通四丁目市立救護院灘分院において、石松に対し、「海田があの晩(註・原判決認定の犯行当夜)ひどく興奮して帰つてきて俺は人を殺して来たが黙つていろ。他人に話したら唯ではおかないと言われ、海田からおどかされて吉田(石松)を真犯人としてしまつた。あんたを長い間苦しめてすまなかつた。」と詫び、同人が石松の無罪を証明する旨の覚え書を書いた、と主張しながら、これに続いて、請求人は北川(北河)に対し「何だお前も無実なのではないか」と答えた、と綴り「北川も真犯人でないとすれば、これも一つの問題である。同人の言うことが請求人を見て恐しさの余りの逃げ言葉であるか、或は真実かわからない。」といい、別件再審請求が表面上、海田庄太郎、北河芳平の偽証を主張しながら、実は、海田庄太郎に限つてその証言の虚偽性の立証があつたと主張し、そして又同人の偽証の自白をとらえて新証拠の発見を主張していたものであることは、右請求書にあげられている各般の証拠方法によるも明らかなところである。さればこそ、別件決定も、別件請求の要旨を、原判決の証拠となつた証人海田庄太郎の証言が虚偽であつたことが証明された。といい、併せて、同証人は自ら自己の証言が虚偽であつたことを認めたものであるから請求人を無罪とすべき新証拠を発見した場合に該当するというのである、と要約解釈し、石松の援用するすべての証拠、すなわち、海田庄太郎の全供述、その他一切の資料を逐一検討したうえ、原判決の証拠となつた海田庄太郎の証言が虚偽であつたことを認めるに足りる証明は得られないし、また石松の援用する海田庄太郎の供述を目して石松に対し、無罪を言渡すべき明らかな証拠を新に発見したものということはできない、と判断し、北河芳平の偽証の点については特に判断することなく、別件請求は、理由がないとして棄却していることは、別件決定書に徴し明らかなところである。

ところで、本件再審請求の理由の要旨は、原決定もこれを要約しているように(イ)原判決において石松を有罪と断ずる証拠となつた海田庄太郎、北河芳平の各証言は、いずれもその後の同人らの供述により虚偽であつたことが明らかになつたとして刑訴法四三五条二号、四三七条により右各証言が虚偽であつた事実を証明する。(ロ)更に、原判決の認定した原判示犯行当夜石松が犯行現場に居合わせなかつたことは、原判決当時から終始一貫して同人の主張してきたところであるが、その現場不在を証明すべき証拠として花村志づ、堀場貞助等の極めて有力な証拠が新に発見されたので、同法四三五条六号により再審を請求する、というにあることは、これ又原決定書及び本件再審請求書に徴し明らかである。

してみると、本件再審請求理由のうち、前記(イ)の原判決の基礎となつた海田庄太郎の証言の虚偽であることが証明されたことを理由とする部分は、既に別件決定において判断を経たところであるから、この点を更に重ねて主張して再審請求の理由とすることは、もとより許されないところである、というべきである。然し、その反面、北河芳平の証言の虚偽を主張する部分及び(ロ)の新な証拠の発見を再審請求として新に主張することは、主張それじたいとしては適法なところといわなければならない。従つて、本件異議理由(一)が、刑訴法四四七条二項の規定を、およそ既に再審請求事由として主張したことは重ねて再審請求の理由として主張することはできないと解し、あるいは又原決定は原判決の基礎となつた北河芳平の証言の虚偽性についても検討を加え、これを否定したうえで原請求を棄却したものと解釈して、本件再審請求は、その請求事由に関する主張じたい右四四七条二項によつて許されない、というのは、その限度において正しくない、というべきである。

ところで、原決定は、原判決引用の海田庄太郎の原裁判所における証言が虚偽であつたか否か、そして、その虚偽性の証明があつたといえるかどうかについて詳細にこれを検討し、その虚偽であつたことが証明されたものと判断していることは、原決定に徴し明らかである。もちろん、原決定も前記刑訴法四四七条二項の規定を意識し、「本件再審請求において庄太郎の偽証自白を理由とする同一の主張が再審事由として許されないことはもちろんであるが、その主張も本件再審事由の一たる芳平の偽証自白の主張とまことに微妙な関連を有しているので、本件において芳平の偽証自白の主張を判断するにあたり、敢て庄太郎の偽証自白の主張もこれを考察の対象からのぞかなかつたものである」と注意的に附記している。そして、その再審請求を認容し、再審開始決定をするについては、専ら、原判決の基礎となつた北河芳平の証言が虚偽であつたことが、証明されたことを理由としているのである。然し、それにしても、原決定が右の如く芳平の証言が虚偽であつたことが証明されたと判断した契機として重要な要素となつたものが、海田庄太郎の偽証自白の真実性に求められていたことは、原決定を一読すれば明らかなところで、原決定は言葉をつくして庄太郎が嘘つきであり、虚言癖を有する男であることを強調しているのである。然るに、既に見た如く、別件決定においては、原判決の基礎となつた右海田庄太郎の証言の虚偽であつたことは証明されないと判断し、これを別件請求棄却決定の理由としているのであるから、既にこの点に関し別件決定の示した判断、すなわち、原判決の基礎となつた海田庄太郎の証言が虚偽であつたことは証明されないとする判断内容(意思表示の内容)も確定し、この判断が動かし得ないものとされ、他の再審請求においても裁判の基準となるものであり、これと異つた判断をすることは、もはや許されなくなつているものと解すべきである。いわゆる裁判の拘束力、あるいは実質的確定力といわれるものが、それである。前記刑訴法四四七条二項は、実は再審請求棄却決定の理由となつた再審請求事由を重ねて主張することの許されないこと(いわば通常判決手続における一事不再理にあたるもの)、及び、既に右再審請求棄却決定において決定理由として判断された内容については、他の再審請求に対する判断の場合にも、それと異つた判断をすることを許さないとする両様の趣旨を含むものである。そして、そのように解しなければ、再審請求棄却決定の確定力は無意味、無内容となり、右四四七条二項の規定も形式だけのものに終つてしまうであろう。もつとも、再審請求が専ら確定判決の事実判断を争うものであり、そして又再審請求の事由がこの事実判断の資料としての証拠並びに証拠の証明力に関する事項に限定されるので、再審請求棄却決定の理由も専ら、それら証拠の証明力に対する判断を内容とするものの多いことも当然である。そこで、既になされた再審請求棄却決定が、原判決の基礎となつた証人の証言が虚偽であつたことの証明はない、と判断した場合でも、新に再審請求を受理した裁判所が、既になされた再審請求棄却決定の際、その判断の資料とならなかつた新な証拠、新な事実を加え、あるいは、そのような新な証拠、新な事実が発見されたことにより、改めて事実の取調をした結果前になされた判断と異る判断に到達することは、もとより有り得る事態であり、前に述べた再審請求棄却決定の内容的確定力は、この場合にまでは及ばないというべきである。ところで、本件において、原決定が、海田庄太郎の偽証の事実を立証する資料、すなわち右に見た新な証拠、新な事実として挙げているところは、本件再審請求事件の事実調における証人藤田幸男に対する尋問調書、証人海田庄太郎に対する尋問調書、ラジオ東京企画による吉田石松と海田庄太郎の対質尋問録音の速記録並びに証人加藤半十郎に対する尋問調書、それに加えて北河芳平の覚書である。然し、以上の証拠のうち、証人加藤半十郎を除き、その余はすべて別件請求に際し提出され、別件決定当時検討を加えられたものであることは、別件請求書及び別件決定により明らかである。なるほど、藤田幸男証人については、原決定当時取調べがなされていないが、その証言の内容は、別件請求の際資料とされた昭和三一年七月六日附東京法務局法務事務官藤原嘉民、同岡村俊一両名の藤田幸男に対する調査書中の同人の供述記載と同旨であり、更に原審がした証人海田庄太郎に対する尋問調書中の同人の供述記載も、その原判決の基礎となつた証言が虚偽であつたか、どうか、という点については全然触れるところがない。否、同人は、原判決において認定された同人、北河芳平並びに再審請求人吉田石松三名共犯に係る本件強盗殺人事件については、口を緘して全然語るところのなかつたものである。《この点について、原決定は、庄太郎の虚言癖は、病膏盲に入つたものである、とまで極言しているが、実は、証人和佐見ときに対する尋問調書によれば、庄太郎は、その雇主であつたときに対し、その雇入れに際し、自分が人殺しをした男であることを告白し、その事件は三人でしたものである、と語つていた、というのであり、庄太郎が事件後四〇年を経過した後、未だに、三人(すなわち、同人、芳平及び石松の三人を指すものと思われる)共犯であつたことを、その雇主に対し語つていた事実を、単なる嘘つきのざれ言として一蹴し去ることは不当であろう。》次に、証人加藤半十郎に対する尋問調書の内容も、同人が事件当時雇傭したことのある石松、芳平及び庄太郎についての、同人の記憶に残つている当時の性格とか、その各自の人柄に対する意見、判断を述べ、庄太郎は当時嘘の多い男であつた、というだけのもので、庄太郎の偽証自白について直接触れるものではない。

次に、原決定の引用している北河芳平の覚書というものについても、別件請求において海田庄太郎の偽証自白の真実性を証明する資料として、その請求当時既にその内容は主張されていたものであり(但し、前述の如く別件請求書においては、その真実性について疑問を留めている)、別件決定も又海田庄太郎の偽証自白の真実性を検討する際、たとえ、その点について明示するところがなかつたにせよ、判断の資料としたものであることは明らかである。そして又、原決定の引用する海田庄太郎の詫び状と称する書面の信憑力については、別件決定において既に検討済みのものである。こうしてみると、本件再審請求において、原判決の基礎となつた海田庄太郎の証言の虚偽性、その偽証であつたことを判断するについては、別件決定と異つた判断に到達することの許される新な証拠、新な事実はなく、原決定のこの点に関する判断の資料としても加えられるところがなかつた、と認めるのが相当である。してみれば、原決定が北河芳平の偽証自白の信憑性を判断する資料とするためであつたとはいえ、海田庄太郎の偽証自白の真実性が証明されたとして別件決定と全然正反対の判断をしたことは、前述再審請求棄却決定の拘束力に牴触するもので、とうてい許されなかつたところというべきである。従つて、この限りにおいて、原決定が別件決定の拘束力に牴触することを主張する本件異議理由(一)は、その理由があるものと、いわなければならない。

第二、異議理由(二)北河芳平の偽証自白の真実性の証明に関する論旨について、

刑訴法四三七条に、確定判決を得ることのできない事情があるときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる旨定められているのは、原判決の基礎となつた証人等の証言が偽証であつたことについて確定判決を得た場合だけを再審事由とするときは、その偽証罪に対する公訴時効の完成、あるいは、その証人死亡等の理由により偽証の確定判決を得ることが不可能となる事態のあることに備え、再審請求を不当に閉ざすことのないようにするため法律は、一種の救済規定を設けたに過ぎないもので、その請求に係る証人等の供述の虚偽であつたことの証明について、毫もその証明の程度を緩和する趣旨のものではなく、その虚偽性の立証は、偽証の確定判決に代わるべきものとして、偽証の有罪を認定できる程度のもの、従つて、いわゆる合理的疑いを容れる余地のない程度に、その虚偽性が客観的確実性を以つて立証されるものでなければならないはずである。この点について、原決定が、「本件の如く複雑微妙な事件においては」と条件を置いたとはいえ、右証明の程度について、多少緩和されるかの如き立言をしていることは、替成できない。犯罪事実の認定が複雑かつ微妙であつたということ、と、右証言の虚偽性の立証とは別の問題である。然し、原決定のこの点の立言は単なる言葉のあやに過ぎないとも解されるので、原決定が北河芳平の偽証自白の真実性、従つて、原判決の基礎となつた同人の証言の虚偽性が立証されたと認定したことについて、更に実質的に検討を試みる必要がある。但し、この場合、同人の偽証自白と密接な関係にあるとして、原決定が判断した海田庄太郎の偽証自白の真実性に関する原決定の判断の不当な所以については、前に述べたとおりである。従つて、北河芳平の偽証自白の真実性を判断する場合には、海田庄太郎の偽証自白の真実性は証明されなかつたことを前提として判断すべきである。そこで、原決定が北河芳平の偽証自白の真実性を証明すべき資料として引用している諸証拠の中から右海田庄太郎の偽証自白の真実性に関するものを除けば(そして海田の偽証自白の真実性の認定については、原決定と反対になる)、その心証形成の根拠となつているものは、証人池田辰二に対する尋問調書及び昭和一〇年四月二五日付当時の名古屋新聞に掲載された同証人執筆の北河芳平との対談記事及び芳平の作成したという覚書である。ところで、原裁判所の吉田石松に対する尋問調書によれば、同人が原決定にいう芳平との対談の時、同人に対し自己を無実力罪に陥れたことについて難詰したところ、同人も石松の無実なることを認めた点については、明確にこれを述べているが、その際、芳平から詫び状の覚書を取つた記憶はない、と供述しているのであり、証人池田辰二に対する尋問調書によれば、同人は、「芳平が、池田証人と神戸市立救護院院長の面前で、同院長の提案で書き吉田石松に対し差入れた覚書の内容は現在判然と記憶していないが、そのころ覚書の写真版を名古屋新聞に掲載したことがある」と言い、右覚書の全文を写真にして掲載したと思われる前記昭和一〇年四月二五日付の名古屋新聞には、原決定に摘示するように「大正二年八月一三日夜名古屋市千種町の殺人強盗事件に関しては、海田が私を脅迫し、吉田を主犯とするようにたくらみ、さらに公判に際してはデタラメの申立を致し罪を貴殿と私に転嫁しましたゆえ、成行上私の罪を軽くするため貴殿を主犯と申したのであります。右相違ありません。なお貴殿はこの事件に関係ありません。」とあつて、芳平の認印がその名下に押捺されているのであるが、芳平が、頭が悪く、アホヨシとまであだ名され、役に立たない男(前掲証人加藤半十郎に対する尋同調書中の同人の供述記載)であつたことを考えると、右詫び状の覚書の内容は、そういつた智能の程度の低い男が自発的に誌したものとはとうてい解されないばかりでなく、その内容としても、原判決認定の強盗殺人事件は、海田庄太郎の単独犯行であつて、北河芳平も、吉田石松も共に右犯行に関与していない旨を書き記した趣旨とも解される余地が多分に存在するものである。(そして、庄太郎自身も別件請求における事実調に際しては、この犯行に関係していない、と述べていたのである。)そして、前記池田証人に対する尋問調書によれば、石松と芳平との神戸市立救議院における会見の模様について、絶対に誇張や事実を曲げたことはなく、ありのままを書いたという前記新聞による石松、芳平の右対談の顛末は、『芳平「あの事件は俺も事実を知らなんだのだ。庄太郎にあとできかされた上に脅迫されたんだ。許してくれ」。石松「俺とお前は一面識もなかつたはずだ。」芳平「全くその通りだ。取調の際に、係官に石松も一緒だつたろうと言われ、俺はその時ハハンこれは庄太郎の狂言だと察して、自分の罪を少しでも軽くするためについ心にもなくお前を首謀者にしてしまつたわけだ」。』とあり、更に、昭和一〇年四月二六日付都新聞の記事によれば、この石松、芳平対談の際、芳平は、真犯人は海田で、石松も芳平もこれに関係がない、と語つていたというのであるから、原判決の引用する芳平の偽証自白の内容というのは、石松が原判決認定の強盗殺人事件に関係のないことを述べただけのものではなく、芳平自身も又これに関係したことを否定する趣旨のものであつたことが認められるわけである。(なお、細かにいえば、芳平が石松を犯人に仕立てたのは、庄太郎の脅迫によつたというのか、取調の警察官にそう言わされた、というのかも判然しない。)このように、芳平の作成したものと認定されている詫び状の覚書も、その成立過程に疑問があり、その内容も又一義的なものでない以上、石松、芳平の対談を見聞した証人池田辰二の尋問調書中の同人の供述記載だけを頼りにして、芳平の偽証自白の真実性を断定することは危険である。もつとも、原決定は、本件の第一審判決と原判決の事実認定及び証拠説明とを仔細に検討、対比して本件の強盗殺人事実の認定がいかに微妙、複雑であつたかを述べ、原判決の石松に対する犯罪事実の認定に多くの無理のあつた点を指摘している。原判決及び第一審判決だけを形式的に観察すれば、なるほど、原決定の指摘しているところは、いちおう首肯できるところである(但し、その犯行に使用されたという尺八が果して、当時石松の居室から押収されたものと同一であつたか、どうかについては、石松自身原裁判所の証人尋問に際して、尺八二本の存在を語つている以上、原決定の説示には、にわかに首肯し難いものを感ずる)。然し、原決定が、このように指摘しているところは、原判決をした裁判所自らも判つていたところであろうし、その裁判記録が一切消滅してしまつた現在、その記録にあつた一切の資料を点検せずして、軽々に、原判決の事実認定に誤認の疑いがあるように推測することは必ずしも正当な道とは考えられない。そこで、このように考えてくると、原決定が北河芳平の偽証自白の真実性が証明されたとしているところは、証拠能力の極めて疑わしい資料又は証明度の薄弱な資料に依拠したもので、このことと前述のとおり海田庄太郎の偽証自白の真実性が証明されないものであることを前提として、この点の判断をすべきこと、その他原裁判所が取り調べたすべての証拠を併せ検討してみても、北河芳平の偽証自白が真実であること、従つて、原判決の基礎となつた同人の証言が偽証であつたことが、偽証の確定判決があつた場合と同様、合理的疑いを容れない程度に、客観的確実性を以つて証明されているものとは、とうてい考えられない。原決定のこの点の判断には容易に首肯できないものがある、といわなければならない。

以上のとおりであつて、原決定が本件再審請求開始決定の理由としたところは、いずれも理由のないものというべきであるから、その限りにおいて、原決定は支持できないものとしなければならない。

第三、花村志づ、堀場貞助の現場不在の証言について、

本件再審請求においては、花村志づ、堀場貞助の各証言を以つて、石松の原判決認定の犯行当夜における現場不在を証明すべき新な証拠として、これが再審請求の理由とされているので、前記の如く原決定の理由が首肯できないとしても、更に当審においてこの点についての判断をも加えなければならないので(異議の審判においては、原決定を取消し、事件を原審に差戻す道は残されていない)、進んで、右請求事由の理由の有無について判断する。

さて、花村志づ、堀場貞助の両名は、別件請求の際にも、その所在について東京法務局及び再審請求人、その弁護人等において、その所在の調査に全力を尽したものであるが、遂に、その所在が不明のため、これを取調べる機会のなかつたものであることは、別件請求記録により窺知できるところであり、本件請求人の弁護人が高い人道的観点から、請求人の無罪を確信する信念と熱情から、遂に、同人らの所在をも調査、つきとめられた努力に対しては、深甚の敬意を払わなければならない。再審請求人が、再審請求のつど、本件犯行当時花村志づの許に赴いていて、犯行現場に不在であつた事実を主張し続けていたことは、明らかなところである。(もつとも、弁護人提出に係る大正三年七月七日付名古屋新聞の事件報道記事によれば、再審請求人は、原判決の控訴審の裁判に際しては、犯行当夜午後九時ころまで、西春杉村の当時の同請求人の情婦春日井その方に遊びに赴き、犯行時刻の午後九時一五分ころには犯行現場に不在であつた旨を主張し、そのが証人として喚問された形跡があり、同請求人の主張に係る花村志づ方訪問の件とは明らかに矛盾する供述がなされていたことも、窺知できるのであるが、これらの点は記録が消失してしまつた現在確認する方法がないのである。)従つて、右花村志づ及び堀場貞助の証言により、その現場不在が立証されるということになれば、再審請求人に対し無罪を言渡すべき明らかな証拠を、新に発見した場合に該当するといえよう(もつとも、同人らは、原判決当時既に検事局、あるいは、予審判事の許で、再審請求人が当時主張していた現場不在の主張の当否について取調べられ再審請求人に不利益な供述をしていたのではないかとの疑いが多分に存するのであるが、この点の確認できない現在、同人らの供述については、やはり、新な証拠として、再審請求人に無罪を言渡すべき明らかな証拠といえるかどうかを検討すべきであろう。)さて、花村志づにしても、堀場貞助にしても四〇余年前のできごとに関する追想を語るものであり、その証言内容の確実性を保証することは、すこぶる困難であるが、同人らの供述内容は概ね次のとおりである。すなわち、本件再審請求事件における事実調における証人花村志づの証言は、「本件強盗殺人事件のあつた晩、自分の家の横道を歩いて行く男の後姿を認めた。その男が背が高い男であつたか低い男であつたか、そして又誰であるかもわからなかつた。二、三人の男がその晩自分宅に来た事実はなかつた。吉田石松という人は、その前一度煙草の火を貸してくれといつて自分の家に立ち寄つたことがある」というのであり(同人に対する証人尋問調書)、又証人堀場貞助の証言は、「本件強盗殺人事件のあつた当夜花村志づ方に、友人の大野と二人で遊びに行つた。すると、男の人が花村の家を覗いたようであつた。そこで、自分と大野が、誰れか覗いたということで、花村方の表に出たら、その人は足早に立ち去つた。自分は、当時吉田石松は知らなかつた」というのである(同人に対する証人尋問調書)。右各証言によれば、両証人とも本件強盗殺人事件のあつた当夜、花村志づ方附近で一方の男、-志づ方に何らかの目的で近付いたと認められる-の姿を認めているが、その男の人相、特徴も語らず、いわんやその男が石松であつたことまでは、いづれも確認できるまでにはいたつていない。しかも、石松は、自己の本件犯行当夜の犯行現場の不在主張について、多少その主張に喰い違う点はあつても、概ね「自分は、当夜工場の仕事を終え、花村志づの家に赴き、同女方に着いたのは午後八時半ごろであつた。花村の家の外に堀場貞助ほか数名の男が居り、自分の顔を覗き込むようにするので、同女方の裏の畠に身を隠した。堀場らは交わる交わる自分の顔を覗き込んだ。自分はこうして暫く時間を過した後、花村の家の表の間の敷居の外に立ち、志づは、その敷居の所まで出て来て自分と話した。自分は志づに遊びに来たことを告げ、今晩入つてよいかときいたら、今晩は姉が帰つて家にいるからいけないと答えた。入つてよいかというのは、夜這いに入つてもよいかという意味である。自分は、その前にも志づの所に行つて冗談話をして帰つてきたこともあり、又わるさ(肉体関係の意味)をしようとしたこともある」、と主張してきているのであつて、石松の主張するところと、前記花村志づ、堀場貞助の各証言とは、くいちがう点があり、本件犯行当夜花村志づ方附近を徘回していた男が、石松その人であつたと認めるにはなんとしても困難を伴う。そして、本件犯行当時、石松と共に渡辺兼吉方工場にガラス工として雇われていたという伊藤庄治郎は、「石松が逮捕された日、同僚の上田善三郎から、石松が事件当夜二時ころ帰つてきたということを聞いた記憶がある」と述べているのであつて(同人に対する証人尋問調書)、この供述及び既存のすべての証拠との関連において、前記花村志づ、堀場貞助の各証言を請求人の最も利益に解してみても、請求人石松が本件犯行当夜午後八時から九時ころ迄の間花村志づ方附近に居た事実を認め、請求人に対し無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新に発見されたと認めるについては、やはり躊躇せざるを得ない。(もちろん、再審請求事由としての新証拠というのは、再審請求人の無罪を確証するものであることまでは必要ではないが、その証拠によれば、なんとなく再審請求人が無罪らしく思われるという程度のものであつては、ならないはずである。)従つて、この点の請求事由も採ることを得ないものというべきである。

以上の次第であつて、原決定は理由がなく、本件再審請求はすべて理由がないので、刑訴法四二六条、四四七条に則り主文のとおり決定する。

(なお、おわりに本件異議申立の適否について附言する。本件において再審請求の対象となつた原判決は、明治四二年法律九六号の刑事訴訟法により(旧々刑訴法という)審判された事件であるが、大正一一年法律七五号の刑事訴訟法(旧刑訴法)六一六条によれば、旧々刑訴法による事件はすべて旧刑訴法によるとあるので、これを、旧刑訴法による事件と置き換えて考えることができる。そこで、本件再審請求手続が旧刑訴法に準拠すべきか、それとも、現行刑訴法に準拠するかについて問題を生ずる。然るに、この点については、刑訴施行法二条の規定を根拠として、この種旧刑訴法のもとで審判され確定した判決に対する再審請求があつた場合にも、すべて旧刑訴法に準拠すべきである、と主張する見解がある。そして、本弁護人も又そのように主張しているのである。(但し、この点を直接に判示した最高裁判所判例はない。)然し、当裁判所としては、この見解にくみするわけにはいかない。なるほど、刑訴施行法二条は、新法施行前に公訴の提起のあつた事件については云々、規定し、広く一般的定言をしているのであるが、この規定は、通常手続のみを予定したもので、再審の如き非常救済手続についてまで直接触れるところはないものと解すべきであり、旧刑訴法のもとで審判され確定した判決に対する再審手続の準拠法が、旧刑訴法によるものか、現行刑訴法によるものかは、刑訴施行法に特に反対に解釈すべき明文のない限り解釈に任しているものと考えられるわけである。然るに、現行刑訴法による再審手続は、専ら有罪の判決を受けた者の利益のためにのみ認められた制度であり、旧刑訴法の如く検察官の利益のための再審制度(旧刑訴法四八六条参照)は認められていないのである。そして、現行刑訴法は基本的人権の保障を理念とする憲法のもとで、この憲法の精神を刑事訴訟手続に移し、刑事被告人の保護、基本的人権の保障を図るため、特に、旧刑訴法を大幅に、そして、根本的に改正して、できあがつたものである。従つて、旧刑訴法のもとで公訴の提起された事件でも、現行刑訴法によることの特段の支障のない限り、現行刑訴法により審判すると解することが、憲法の精神にも副う所以である。(但し、手続が新、旧刑訴法に分割され、手続として一体性を欠くというような場合は別である。刑訴施行法二条は、このような事態を予想した規定である。)従つて、旧刑訴法のもとで公訴が提起され審判された事件であつても、これに附随する手続で、現行刑訴法によることが格別の支障のない場合には、その附随手続については、現行刑訴法によるものと解するのが相当である。そして、このような附随手続が、それじたい一個独立の手続を形成する場合には、訴訟行為については、裁判時法による、との原則に従うのが、法適用の根本原則にも適う所以である。もし、これを反対に解し、本件の如く旧刑訴法により審判された事件に対する再審手続については、旧刑訴法によるものと解すれば、新法が旧法に比し、再審請求人の利益のために再審請求事由を拡張している場合の如きは、新法によることを許さないとしなければならず、その結果は新法のせつかくの精神を活かさないものである。更に反対説によれば、この種の事件については、検察官の利益のための再審請求をも認める、としなければ論理が一貫しないであろう(もつとも、それは刑訴応急措置法二〇条にこれを許さないとする明文がある)。然し、そのような検察官の利益のための再審請求を認めることは、憲法違反の疑いも濃いであろう。(憲法三九条参照。)更に又、反対説によれば、この種事件について高等裁判所のした決定に対しては、即時抗告することは許されず、(即時抗告を所管する裁判所がない)、特別抗告をする方法しか残されていないことになるが、その特別抗告理由が法律点、特に憲法問題に限定されていることを思えば、この種事件について事実点の判断を一回限りに制限する結果となり、現行刑訴法に比べて余りに手続が不備であろう。(原決定が再審請求棄却決定であつて、再審請求人に不利益なものである場合を考えれば、特にそうである。)そうしてみると、旧刑訴法のもとで公訴が提起され、審判された確定判決であつても、これに附随し、それじたい一個独立の手続をなす再審請求手続については、刑訴施行法二条の規定に拘わらず、現行刑訴法に準拠するのが相当である、と考える。(もつとも、このことは、再審開始決定があつた後の本案事件の有罪、無罪を決定すべき審判手続についてまで、手続の全部を新法によらしむると解しているわけではなく、この点についてはここでは問題とならない。)従つて、原決定が本件再審請求をすべて現行法に従い審判したのも正当であり、(本件請求も又現行刑訴法に従つている。)従つて又この高等裁判所のした決定に対しては、刑訴法四二八条に従い異議の申立をすることのできるもの、と解すべきである。別件決定に対し異議申立をすべしとした最高裁判所昭和三四年(す)第二五七号事件決定の趣旨とするところも又この点に在つたものと思われる。検察官のした本件異議申立は適法である。)

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 谷口正孝 裁判官 中谷直久)

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